ばんどうクリニック
板東邦秋院長インタビュー

投稿日:2023.12.20

日本医科大学医学部を卒業した板東邦秋先生は、縁あって順天堂大学脳神経外科の研修医となり、同大学の系列病院で脳神経外科医としてのキャリアを積んだ。
1988年~1990年には米国バージニア医科大学に留学している。帰国後医学博士号を取得し、藤沢市民病院の脳神経外科で医長、主任医長、部長と昇進。2006年、横浜市泉区に「ばんどうクリニック」を開院した。
脳神経外科認定医、抗加齢学会専門医、脳卒中専門医、認知症専門医、日本医師会認知症サポート医など錚々たる肩書を持つが、かかりつけ医としての親しみやすさも併せ持つ。そんな板東院長に、認知症医療の奥深さとやりがいを語っていただいた。(取材日2023年11月20日)

もくじ
脳神経外科医としてのキャリアを積んだホームドクター
開業してわかった訪問診療の大切さ
地域の良き相談相手として頑張りたい

脳神経外科医としてのキャリアを積んだホームドクター

Q.医師を志した動機をお聞かせください。

生まれは徳島県で、4人きょうだいの末っ子です。父親は、自分が戦争中、経済的な理由で医専(現・徳島大学医学部)を中退せざるを得なかったことから、私たち子どもに口癖のように「医学部へ行け」と言っていました。そのせいか、長女は薬剤師、次女は管理栄養士になり、長男は灘高から東大医学部へ入って医者になっています。次男の私も、浪人したのち、日本医科大学医学部へ入りました。

浪人時代は上京して駿台予備校に通わせてもらいましたが、それもこれも税理士だった父親が仕事を頑張って、仕送りをしてくれたせいだと感謝しています。私自身は建築家になりたいという思いがあり、浪人後ある大学の建築学科に合格したのですが、医者になろうと思い直してもう1年浪人した経緯があります。医者になるなら、外科医になろうと思っていました。生死に関わるような、人助けができる仕事がしたかったのです。

Q.医学部時代のエピソードをお聞かせください。

ラグビー部と新聞部を掛け持ちしていました。日本医科大学は、全学生数が600人あまりのなかで55名がラグビー部に所属していたくらいラグビーの盛んな大学でした。私は、そこでレギュラーになれるポジションにいました。一方、医学生新聞を出していた新聞部も活動が盛んで、私はそちらの活動にも熱心に取り組んでいました。4年生の時に学友会(自治会)の会長になったくらいですから、自治会活動にも熱心だったわけです。

私が自治会の会長だったとき、サークル活動の拠点だった学館が火事を出すという事件が起こりました。学館は学生たちが自主管理していましたから、自治会長だった私は善後策に走り回らなければならず、大切なラグビーの試合に出られなかったのです。ところがその試合に私の代役で出場した選手が、試合中の事故で死亡するというアクシデントが起こりました。学館の火事も、ラグビーの事故死も、どちらも私のせいではないのですが、責任を感じたのを覚えています。

Q.日本医科大学を卒業なさったのに、順天堂大学の脳神経外科に入局なさっています。珍しいケースではありませんか?

その通りです。日本医科大学医学部を卒業する時点で、私は第一外科への入局が内定していました。ところがそこでもトラブルが起きて、私の方から「辞めます」と飛び出してしまったのです。詳しい事情は言えませんが、もろもろの不満もあって日本医科大学と縁を切りました。

ちょうどその頃、順天堂大学医学部に入局していた高校時代の同級生と再会し、「うちへ来ないか」と誘われました。見学のために順天堂を訪問して医局長と面談したところ、その人がラグビー部の先輩の義理のお兄さんだったのです。「体力はあるか」と聞かれ、「あります」と答えたら、その日のうちに入局が決まりました。

Q.開業に到った経緯をお聞かせください。

順天堂大学医学部で脳神経外科の研修医になり、助手になりました。その後、米国バージニア大学へ2年間留学しています。研究したのは、頭蓋内圧です。これは後々、認知症専門医になってから「治る認知症」と呼ばれる正常圧水頭症や頭部外傷を見極めるのに役立ちました。帰国してから博士号を取り、藤沢市民病院で長く働きました。ここは550床ほどある大きな病院で、順天堂の関連病院が13ヵ所ある中のひとつです。私はそこで、脳神経外科医として手術漬けの日々を送りました。2006年に退任し、ここに「ばんどうクリニック」を開院して今日に至ります。

クリニックはいま、17年目に入ったところです。開院当時は、クリニックの横を走る環状4号線(横浜市主要地方道18号)が、まだ全線開通していませんでした。この地を選んだのは、長年住み慣れた藤沢市と近かったことと、環状線が開通すれば便利になると思ったからです。

開業してわかった訪問診療の大切さ

Q.このクリニックの特色は何ですか?

脳神経外科、内科、整形外科、神経内科を標榜しているほか、在宅療養支援診療所として訪問診療に力を入れています。ここと分院に常勤医が2名いて、一人は訪問診療専門の常勤医です。そのほか、非常勤の医師が10名ほどいます。合計70軒くらい訪問先があるでしょうか。最初は私一人で脳神経外科と脊椎・脊髄疾患を中心に診ていこうと思っていたのですが、ホームページで正常圧水頭症など「治る認知症」を治しますと告知したところ、あらゆる認知症の患者さんが来るようになったのです。

高齢化が進み認知症が増えていることに驚いた私は、「これは大変な社会問題になるぞ」と危機感を感じて認知症の勉強を始めました。その結果、数年かけて日本認知症学会専門医・指導医、認知症サポート医の資格を取ることができました。もの忘れ外来を開設し、アルツハイマー病はじめあらゆる認知症の診断と治療が、当クリニックの柱のひとつになっています。

特殊外来には、もの忘れ外来のほか脳卒中外来、頭痛外来、せぼね外来、骨粗鬆症外来などがあります。また、脳ドッグをはじめ高度な検査にも対応しています。

Q.認知症治療で何か工夫していることはありますか?

私は2020年に『やさしくなれる認知症の在宅介護』(ワニブックスPLUS新書)という本を出しました。そこに、「介護者自身が倒れてはいけない」、「自分へのやさしさがよい介護につながる」というメッセージを込めました。訪問診療に力を入れたのも、患者さんと一緒に介護者も守りたいという気持ちからです。

あと、80歳、90歳といった高齢者の認知症は、混合型が多いことを意識して診断と治療にあたっています。若い人には典型的なアルツハイマーやレビーやピックがいますが、超高齢者になると2つ3つの認知症の特徴が混在していますし、多少の脳血管障害(脳血管型認知症)はあるのです。当然、治療においてもアルツハイマーの薬を教科書どおりに使うケースは多くありません。症状に合わせた、細かいサジ加減が必要になります。抗認知症薬は、最低限の量で始めるのが鉄則です。高齢になればなるほど、少量で始め、必要最低限で維持するよう心掛けています。

Q.薬以外で認知症治療に有効な方法はありますか?

大切なことは、薬に頼りすぎないことです。フランスなどは抗認知症薬4種を保険適用から外して、お金を介護に回すという大英断を行いました。エビデンスがあるのは、①定期的な運動習慣、②人とのつながり、③コミュニティ参加、④趣味・生きがいの4つです。

私は、投薬より「仲間づくりをやりなさい」と、要介護認定を受けてデイサービスに通うことを勧めています。そこに少し薬を足す程度でいいのです。

サプリメントでは、エビデンスがあるフェルガードやMガードがいいと思います。

あと、高齢になると孤独・孤立が一番いけません。その原点にあるのが「フレイル(虚弱)」です。フレイルには3つの側面があります。1つ目が身体的フレイル(ロコモティブシンドローム、サルコペニヤ、骨粗鬆症など)、2つ目が精神・心理的フレイル(意欲・判断力や認知機能低下、うつなど)、3つ目が社会的フレイル(閉じこもり、孤食など)です。私は、これらの解決を治療のメインにしています。薬は最低限にして、生活の活性化に力を入れているのです。

地域の良き相談相手として頑張りたい

Q.地域とはどのような繋がりをもっていらっしゃいますか?

私が理事長を務めている法人(医療法人順神会)では、サービス付高齢者住宅「ラウンジヒル湘南台」を運営しています。これは「老人介護施設をつくってほしい」という患者さんやそのご家族の声に押されてつくったものです。おかげさまで、9割前後の入居率を誇っています。

高齢化が進むと、これからの医療は介護と切り離せません。分院には居宅介護支援事業所(ケアマネ事務所)も併設しています。ケアマネジャーの重要性は、声を大にして言いたいところです。優秀なケアマネジャーには、利用人数による報酬制限以上の給料を払ってもいいと思っています。

介護職の人材不足が深刻な昨今ですが、働き手さえいれば介護施設をもっとつくりたいという思いがあります。そうすることで、より地域住民のニーズに応えることができますから。医療者同士の地域連携ついては、おおむね満足しています。昔の脳神経外科医は認知症を嫌っていましたが、今ではみんな認知症を診ています。認知症基本法もできて、行政が動くようになったことも大きいですね。

Q.休日の過ごし方や将来の夢を教えてください。

以前は10キロくらいジョギングをしていましたが、膝を悪くしたので今は週2回プールに通っています。あとはサウナに入るのが趣味のようなものです。自宅に北欧式の本格的なサウナをつくったので、週2回は入ります。かみさんは毎日入っていますが。子どもが3人いますが、今は独立して妻と二人暮らしです。娘が教師になり、息子2人が医者になりました。いずれ、どちらかがこの法人を継いでくれると思います。

私個人の将来の夢としては、このまま認知症医療をしっかりやること、訪問診療を伸ばしていくこと、グループホームなどの介護施設をつくっていくことです。スタッフさえ揃えば、もう少し介護に力を入れられるのですが……。

医療や介護って、結局「人」なんですよ。人材を育てて定着させることに、今いちばん力を入れています。それが、ひいては高齢化する地域の人々の暮らしを支え、幸せな人生を送っていただく手助けになりますから。

ばんどうクリニック

・ばんどうクリニック ホームページへリンク
〒245-0016 神奈川県横浜市泉区和泉町514-8
電話 045-800-3934 FAX 045-800-3935

あわせて読みたい
菫ホームクリニック
小田行一郎院長インタビュー
帯津三敬病院
増田俊和院長インタビュー
かがやきクリニック川口
腰原公人院長インタビュー
べっく・メディカル・クリニック
佐藤裕道医師インタビュー
汐入ぱくクリニック
新井正晃院長インタビュー
かなや内科クリニック
金谷潔史院長インタビュー
東京メモリークリニック蒲田
園田康博院長インタビュー
みなさまの声を募集しています。

えんがわでは、認知症のご家庭の皆さまと、
認知症に向き合う高い志をもった
医療関係者と介護関係者をつなぎます。
認知症に関するお悩み、みんなで考えていきたいこと、
どんどんご意見をお聴かせ下さい。