認知症いろいろ・「胃ろう」もいろいろ

「胃ろう」という言葉を耳にされたことがある方も多いかと思います。病気や加齢により、口から食事を摂ることが難しくなった方に対して、胃に直接栄養を送るための方法です。その是非については、医療・介護の現場でも議論が続いています。
しかし、私たちが本当に向き合うべきなのは、「その人らしく生きる」という視点ではないでしょうか。
88歳のYさま
88歳のYさまは、認知症はあるものの、それ以外に大きな病気はなく、とても元気な方でした。ある日、感染症をきっかけに急激に体力を落とし、食事も摂れなくなり、入院されました。入院中に医師から胃ろうの提案があり、ご家族は「少しでも元気になってほしい」との思いから、胃ろうを選択されることになりました。
退院して施設に戻られた当初、Yさまは寝たきりでしたが、次第に体力を取り戻し、車椅子に乗れるようになりました。声も出るようになり、表情にも明るさが戻ってきました。
水ようかんが食べたい!
ある日、Yさまがこうおっしゃいました。
「水ようかんが食べたいのよ!お願い、食べさせて!」
私たちはご家族と主治医に相談のうえ、吸引機を用意して、ほんの一口から口に運びました。Yさまは嬉しそうにそれを味わい、ぺろりと1個を完食されました。
「おいしいね。ありがとう。」
その言葉と笑顔は、私たちの胸に深く残りました。
食べたいという気持ち。それは「生きたい」という意志の表れでもあります。
Yさまはその日を境に、少しずつ食事を再開されました。
最初は「好きなもの」から。足りない分は胃ろうで補い、お薬だけは胃ろうから投与する、というかたちでサポートしていきました。
ある日、胃ろうのチューブ交換のため病院に同行した際、医師から「チューブが腹部にめり込んでいるので、あまり食べさせないように」と言われました。
私たちは、ご家族と話し合い、「もう口から食べられるのなら」と、胃ろうのチューブを抜去する決断をしました。
食べること
食べること。それは単に栄養を摂る行為ではありません。
味を感じ、香りを楽しみ、思い出とつながる、人生の大切な営みです。
「口から食べる」という行為の中には、「人としての尊厳」や「生きる喜び」が詰まっています。
胃ろうは、時に命をつなぎ、生きるための希望となるものです。
一方で、それが「最期までその人らしく生きる」ことと一致しない場合もあります。
大切なのは、「何を優先するのか」を、本人やご家族とともに考えることだと、Yさまの経験を通じて強く感じました。
私たちは、「胃ろうをするかしないか」ではなく、「その方がどう生きたいのか」に寄り添うことを忘れてはならないと、改めて心に刻みました。

日本認知症研究会副代表。看護学校卒業後、内科外来、透析室勤務を経て訪問看護ステーションにて3年間在宅医療に関わり、その後、介護付き有料老人ホームの看護職員として長年務められる。多くの認知症の入居者に携わるうちに、認知症について興味を持ち看護師として貢献できる認知症ケアについて学ばれる。周囲の仲間からは「大将」の愛称で親しまれ、医師主体の研究会の代表を務められた他、中国、イタリアで開催された学会でのご講演など多方面で活躍されている。